2016年1月18日月曜日

【駆け出しのころ】安藤ハザマ取締役常務執行役員土木事業本部長・菊地保旨氏

◇現場の喜びを感じてほしい◇

 私のおやじも土木技術者で、他のゼネコンに勤めていました。大学を卒業してゼネコンに就職しようと考えていた時、そのおやじから「やめとけ、苦労するから」と言われたのを思い出します。でも現場で働きたいという思いがあり、この仕事がどういったものかも理解しているつもりでした。

 入社して最初に配属されたのは大阪支店の現場です。本来なら新人は大きい現場でいろいろ教わるものですが、そこは主任と私の二人という小さな現場でした。ローテーションで本社の設計部にも1年ほど在籍した後、当社が設計施工で受注した山形県内の火力発電所の建設現場に異動します。

 この現場は大規模で、土木、建築を合わせて50人ほどの社員がいたでしょうか。最初の1年半ほどは設計を担当しましたが、どうも設計の仕事は自分に合わないと思い、設計部には戻らずにそのまま現場で施工を担当させてほしいと希望しました。以来、50歳を過ぎるころまで、ダムを中心に国内外の土木工事に携わってきました。

 山形での火力発電所工事の次に担当したのは、東京都内の地下鉄工事です。当時、その火力発電所の現場から海外留学された先輩がおられ、実はこれに大きな影響を受けました。自分も海外に行きたいと思うようになったのです。このため、地下鉄工事が終わると、国内の研修機関に1年通いました。本当はすぐにでも留学したかったのですが、自分にはそんな力がまだないこともよく分かっていました。

 その後、40代半ばになって海外のダム現場に5年ほど勤務します。初めての海外赴任であり、マレーシアのスンガイキンタダム建設工事では作業所長を務めました。留学したいと研修を受けてから既に15年ぐらいたっていましたから、かつて勉強したことなどほとんど忘れていました。海外での勤務は良い経験になりましたが、交渉事などが思うようにいかず、厳しい経験でもありました。

 私はよく、社内で現場の喜びを感じてほしいと言っています。価値観というのは時代や人によっても異なるものですが、建設業で一番に喜びを感じられるのは、やはり現場でのものづくりです。ここに携わることで得られる喜びは、何にも増して大きいものです。若い人たちにもぜひ感じてほしいと思います。

 私がゼネコンに入ることにいい顔をしなかったおやじですが、「行くなら間組がいい」とも言っていたんです。もう亡くなっているので聞けませんが、息子も自分と同じ道を選んだことが、本当はうれしかったのかもしれません。

 (きくち・やすし)1980年東大農学部農業工学科卒、間組(現安藤ハザマ)入社。東北支店土木部長井ダム出張所長、大阪支店副支店長、九州支店副支店長、安藤ハザマ執行役員九州支店長、常務執行役員土木事業本部長などを経て、15年6月から現職。神奈川県出身、59歳。

長年、ダムを中心に国内外の土木工事に携わってきた(中央)


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