2016年4月25日月曜日

【駆け出しのころ】佐藤工業執行役員建築事業本部長・伊藤隆実氏

 ◇主体的に動けば楽しさも増す◇

 入社してすぐ、東京支店の建築現場に配属されました。そこで建物が形になっていくことの迫力と喜びを知り、現場がすっかり好きになりました。

 現場で一日の作業を終えると、ノートの見開き2ページ分に業務リポートを書くのですが、これが結構大変だったのを覚えています。現在もこうした業務リポートを書く新人研修は続いており、私たちがその第1期生でした。

 新人であっても、現場に出れば職人から「これはどうするのか」などと聞かれます。最初のころはとにかく何か答えなければと思い、よく確認もせずにただ勢いだけで指示を出していました。当然、手戻りがかなり発生し、現場には迷惑を掛けてしまいました。

 新人時代にはこんなこともありました。マンションの建設現場で一日の最後に行う業務は、全室の窓が閉まっているかどうかの確認です。職人に「作業が終わったら締めておいて」と頼んでいたのですが、ある日曜の夜、大雨が降ってきたんです。窓が閉まっているかどうかがとにかく気になり、夜に一人で現場へ行き、全室を見て回ったことがありました。今振り返ると、これが現場に対する責任感と愛着が芽生えた時だったかもしれません。

 二つの現場で続けてご一緒した所長は、私が結婚する時に媒酌人も務めて下さりました。豪快ですが細かなことを気にされる方で、現場ではいろいろなことを「あれは大丈夫か」と何回も確認されていました。社内で「利益を出せる所長」と言われていた方であり、無駄なことを嫌っていたのだと思います。

 ある日、その所長が持っていた実施予算書を内緒でコピーさせてもらったことがありました。いつか自分が所長になった時、現場運営の参考にしようと考えたのです。後に自分も同じ所長の立場になると、無駄についている電気を消すなど、それまで意識していなかったことが気になったものです。実際に見たかどうかは覚えていませんが、かつてコピーした予算書は事務所の机の中に入れて持っていました。

 社内でもよく言っているのですが、指示を待って動くのではなく、主体的に考えて動くことが大切です。自ら能動的に関わるほど現場は応えてくれますし、楽しさも増すものです。

 私が所長だったころ、一番に気持ちが高揚したのは「次はこの現場を頼む」と言われて新しい図面を受け取った時でした。これからどう造るかを考えるのは楽しく、真っ白なキャンバスに初めて筆を入れるような爽快さを感じたものです。若い人たちにも伝えたいことです。

 (いとう・たかみ)1982年早大理工学部建築学科卒、佐藤工業入社。シンガポール支店建築工事部長、建築事業本部建築事業企画部長、執行役員建築事業本部長兼建築事業企画部長などを経て、16年2月に同建築事業本部長兼建築海外事業部長(現職)。石川県出身、57歳。

所長として工事に携わった建物の前で(写真中央が本人)

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