2016年4月28日木曜日

【回転窓】慣れと油断

とある取材先で、爆破予告騒ぎがあった。その日も訪れていたのだが、まったく気付かず、後からホームページを見て騒動を知った▼安全点検を行ったところ異常は見つからず、予告時間は無事に過ぎ去ったという。予告が本当なら人命に関わる。愉快犯だとしたら、警備体制の強化は無駄に終わる。施設管理者らの心労は相当なものだったろう。「何もなかったから良かった」とは取材先の方の弁▼そうした場に出くわしたのはこの1年で2度目。知らないだけで本当はもっと多いのかもしれない。われながら不思議なのは、大きな焦りや恐怖が沸き上がってこないこと。「どうせウソだろう」と高をくくっている自分がいる▼紛争地域を旅した際、鳴り響く銃声を聞いた。驚いて周りの人に話し掛けると、返ってきた言葉は「ノープロブレム」。もはや問題にならないほどに暮らしに溶け込んでいた▼いちいち気にしていたら精神的に参ってしまうことも分かる。「慣れ」とは耐性でもあろう。だが麻痺(まひ)や油断という側面も伴う。不幸な事件・事故を防ぐための立ち回り方の難しさをあらためて感じた一日だった。

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