2016年6月13日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・140

 ◇険しく果てしない道、だから楽しい◇

 建築家を志して建築の道に進む人は多いが、実際に建築家として身を立てることができるのはほんの一握り。そんな世界に飛び込んだ加藤公平さん(仮名)は国内外で建築を学び、3人の建築家の下で実務のキャリアを積んだ。

 発想やアイデアの源泉、コンセプトの構築など建築家の設計思考は十人十色。それぞれのプロジェクトの中に建築家の個の思考をどう意味付け、形を描き、姿として表現するか。

 そんな創造の最前線に自身の思いをぶつけるが、「熟度の低い考えはすぐに見透かされる。20代のころは打ちのめされてばかりだった」。

 設計事務所の独立は遠い将来の話、もしかしたら一生駄目かも…。そんな思いが頭をよぎる日もあったが、「知りたいのは楽な道のりではなく、険しい道の歩き方だ」。この信念は貫いた。

 3人の建築家に学んだのもその一環という。一人の建築家に師事して徹底的に吸収する道もあるし、複数の建築家の下で多種多様な経験を重ねる道もある。「私は後者を選んだ。いろんな建築家の仕事を間近で経験してみたかった。盗むような感覚もあった」。

 30代半ば。担当したプロジェクトの建物用途や規模が、若いころに携わったプロジェクトと似ていることにふと気付いた。そんな感覚のプロジェクトがいくつか続いた中、自分自身に仕事が舞い込むようにもなってきた。「一通りやりきった感があった。このタイミングしかない」。独立を決意。36歳だった。

 順風満帆に行かないことは覚悟していた。最初の1年はリノベーションのプランニングや住宅設計など仕事は切れ目なく続いたが、2年目に入るとめっきり減った。このままでは食べられなくなるのでは…。家族の生活を守るために建築士試験の資格学校で製図の講師を務めた。「アルバイトで何とか食いつないだ。険しい道の歩き方は学んできた」。

 本業の建築設計の仕事がまったく途切れたわけではない。目の前の仕事に一つ一つ丁寧に真剣に取り組むだけだった。決して下は向かなかった。

 3年目を迎えるころ徐々に風向きが変わってきた。以前世話になったクライアントに新しい仕事を依頼された。「設計の内容だけでなく、仕事に向き合う姿勢や人柄を評価していただいた。うれしかった」。一人の建築家として認められた瞬間だったと振り返る。

 「仕事を取ってくる力が身に付いてきたのかもしれない。これも建築家としての大切な資質だ」と思う。住宅だけでなく、美術館や介護施設、駅舎、診療所などの案件でも声を掛けられるようになっていた。母校の建築学科の講師に就いたのもこの時期と重なる。

 この春、事務所を立ち上げて4年目になった。

 今では4人のスタッフを抱える。「今年は40歳の節目。建築家の仕事もようやく軌道に乗ってきたかな」。

 建築設計界では、「建築家は50歳過ぎてから」などとも言われる。学生や若手から「建築って何ですか? デザインって何ですか?」と単刀直入に問われたら、どう答えるか-。建築家の道は険しく、果てしない。「だから楽しいんですよ」。

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