2016年7月22日金曜日

【傑作の影にこの人あり】西洋美術館本館(東京都台東区)、施工で支えた清水建設・森丘四郎氏


 近代建築の巨匠ル・コルビュジエが設計を手掛けた作品の一つで、日本国内で20件目となる世界遺産への登録が決まった「国立西洋美術館本館」(東京都台東区)。その完成に大きく貢献したのが、工事を担当した清水建設の森丘四郎氏だ。建物を象徴するピロティ構造は大型のコンクリート柱で構成しており、フランスで専門知識を学んだ同氏が現場主任として着任。日本人ならではのきめ細かい施工で、完成後はコルビュジエ本人からも称賛の言葉が贈られたという。

 ◇丁寧な工事で繊細デザイン再現◇

 森丘氏は富山県に生まれ、18歳(1923年)の時にフランスに留学。リヨン美術学校で建築学を学んだ。28年からは、コンクリート建築を得意とするフランスの建築家オーギュスト・ペレに師事。ペレのアトリエには、若き日のコルビュジエも在籍しており、森丘氏の知識の基礎がここで順調に育まれた。

 33年6月に、清水建設の前身である清水組に入社。前川國男氏が設計した日本相互銀行本店の工事(52年竣工)を手掛けた関係で前川氏の信頼を得た。

 国立西洋美術館の新築工事に当たっては、「コルビュジエも師事したペレの元で学んだ森丘氏が適任」とする前川氏からの強い要望があり、現場主任に就くことになったという。

 新築工事は58年3月20日に始まった。建物のデザインで特徴的なのが、打ちっ放しコンクリートの円柱。森丘氏は施工の際、年輪が幅広く均一で、切削などの加工が容易な姫小松を用いて型枠を製作。そこにコンクリートを丁寧に流し込むことで、姫小松の美しい木目を円柱に表現した。工事は59年3月28日に竣工した。

 「美術品を展示する素朴な箱と言った感じのする美術館を、どんな感覚に仕上げたらよいだろうか。(中略)設計者の意志に反するとしても、せめてこの質素な木綿の着物を着た淑女に、几帳面な身だしなみと多少の品位を与えることが出来ないものか」(清水建設社内報59年6月号から抜粋)。森丘氏は、施工に当たって考えたことをそう記している。

 ◇コルビュジエも仕上がり称賛◇

 森丘氏を筆頭とする清水建設の丁寧できめ細かな仕事ぶりを、設計者も高く評価した。実施設計・監理を手掛けた坂倉準三氏は「大へんな熱意をもって仕事にあたった清水建設の現場担当員はじめ、関係工事担当各社の人たちに負うところがまことに大きい」(「新建築」59年3月号への寄稿から抜粋)と賛辞を贈った。コルビュジエは、完成後に来日してはいないが、坂倉氏が送った竣工写真を見て「美術館の仕上がりは完璧で、私は満足だ」と坂倉氏に返信したとされている。

 森丘氏はその後、東京都記念文化会館(東京都台東区)の新築工事に携わるなど、多くの歴史的建築物の施工を手掛け、64年に清水建設を定年退職。92年に86歳でこの世を去った。

 96年5月~98年3月に行われた国立西洋美術館の免震レトロフィット工事では、清水建設が新築に続いて施工を担当。そして、新築から半世紀以上を経て、世界文化遺産への登録が決まった。

 昨年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(軍艦島の共同住宅などを施工)が世界文化遺産として登録されるなど、清水建設が建築に携わった作品が世界から評価されている。

 (もりおか・しろう)1906年1月4日生まれ、富山県大布施村出身。23年4月富山県立魚津中学校第四学年終了後留学のため退学、24年5月渡仏し、同年9月リヨン美術学校入学、28年3月オーギュスト・ペレに師事、33年6月清水組(現清水建設)入社、60年7月工事課長、64年1月定年退職、92年1月死去(86歳)。

 《工事概要(新築時)》

 発注者=文部省
 所在地=東京都台東区上野公園7の7
 規模=建築面積1587m2、RC造地下1階地上3階塔屋1階建て延べ4181m2
 設計=ル・コルビュジエ
 実施設計・監理=坂倉準三、前川國男、吉阪隆正
 構造設計=横山建築構造設計事務所、文部省管理局教育施設部工営課
 施工=清水建設
 工期=1958年3月20日~59年3月28日

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