2016年9月5日月曜日

【駆け出しのころ】大成建設取締役専務執行役員土木本部長・田中茂義氏

 ◇自由闊達な社風にやりがい◇

 私たちが入社した当時、土木系の新入社員はまず土木設計部に配属され、それから現場に配属されました。土木設計部にいる期間は人によって異なり、私は1年後、四国支店の南北備讃瀬戸大橋下部工工事の現場に赴任します。 

 ここではつり橋アンカレイジの気中コンクリートを打設するためのプラントバージ建造工事を兼務で担当しました。広島県三原市のドックで、コンクリート混練プラントが搭載される軽量コンクリート製のバージを造る工事です。睡眠時間を削るほどの激務であったため、おいしいものをたらふく食べてもやせる一方で、72キロあった体重は半年ほどで64キロまで落ちました。

 10人ほどいた社員の中では一番若く、当然、私以外はすべての方が上司です。皆さんがそれぞれ仕事には一家言を持っており、「現場とはこういうものだ」といったことをよく話していただきました。ですが、それぞれにやり方が違っていることもあり、「これは正しそうだ」などと考えながら聞いていました。

 コンクリートバージが完成し、ドックに海水を注水する時は、本当に計算通り浮くのかと心配でなりませんでした。注水が進んでバージの底板が型枠からバリバリと音を立てて離れると、そこいた皆から大きな歓声が上がったのを覚えています。

 失敗もありました。四国・坂出の本務地に戻り、モルタルプラント船に乗って鋼殻ケーソン基礎の海中部分にプレパックドコンクリートを連続注入する工事を担当していた頃のことです。寝過ごして夜番に遅れてしまい、20人ほどの作業員を2時間も待たせてしまいました。慌てて作業員と共に乗船して海上基地に向かうと、桟橋にいたのは何と仁王立ちしている所長でした。冷や汗が止まらない思いでしたが、不思議と怒られはしなかったと記憶しています。

 最初の現場で感じたのが、大成建設の所長の責任と権限は大きく、また自由闊達な社風であることです。若いながらも「これは所長にならない手はない」と思いました。

 これまでの社歴を振り返ると、技術・設計、現場、マネジメントが3分の1ずつでしょうか。自分が所長を務めていた現場では、所長というのはマネジャーとリーダーの両方の役割を兼ねていなければならないと考えていました。このうちのマネジメントは人間関係の構築力によるところが大きく、そうした所長時代の考え方は今も変わっていません。

 新入社員研修の場などでは「誠実さを忘れないでほしい」と話しています。人によってその表し方は違うかもしれませんが、誠実であるから仕事を任せられるのです。

 (たなか・しげよし)1979年東大工学部土木工学科卒、大成建設入社。土木本部企画室長、札幌支店土木部長、東京支店土木部長、執行役員九州支店長、常務執行役員社長室長、専務執行役員土木本部長兼社長室副室長などを経て、15年から現職。山梨県出身、61歳。

入社1年目は土木設計に所属していた

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