2016年11月10日木曜日

【回転窓】江戸時代の復興PPP

1657年1月、江戸の町が焦土と化した「明暦の大火」。出火原因の逸話から「振り袖火事」とも呼ばれ、死者は10万人に上ったと記録されている▼東京消防庁のホームページに掲載されている「消防雑学事典」を引くと、この大火で特筆できるのは、被害の大きさだけではなく、火災後の都市づくりにある。例えば区画整理のための建築制限、両国橋の架設、神社仏閣の移設、広小路・火除土手の設置などが復興対策として行われた▼現在の東京・千代田と中央の区界には、大火の後に長さ八丁(約870メートル)の火除土手が構築された。続いて土手のそばに広道ができ、さらに町人たちが費用を負担して広道に掘割を開削した。これが神田八丁堀の由来という▼水の道として物流を支えた堀だが、第2次大戦後に埋められる。もともと大火が原因で造られ、工事には民間資金が活用されていたのだから、現代なら復興PPP事業と言えるものであろう▼明暦の大火から来年でちょうど360年を迎える。大地震などの難事に備え、防災・減災対策に万全を期していくためにも、都市やまちの成り立ちを振り返る意義は大きい。

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