2017年3月27日月曜日

【駆け出しのころ】松井建設執行役員・高岡茂樹氏

 ◇「松井の線」を伝え続ける◇

 小さい頃は東京都文京区で護国寺の音羽幼稚園に通い、その中をよく歩き回っていました。そして母の実家は石川県の本願寺金沢別院に近く、一緒に里帰りすると祖母に連れられて別院の中にいた記憶が残っています。大学で建築を学んで松井建設に入り、社寺建築に携わるようになったのも、頭の中にそうした原風景があったからかもしれません。

 最初に配属されたのは、一般建築の施工図を作成する現業設計課でした。ここで9年間、庁舎や体育館、集合住宅などいろいろな用途の建物の施工図を手掛けました。一般建築の施工図であればどんな仕事が来ても対応できるという自信のようなものが付いた頃のことです。このままでいいのかと自身の進む道を模索する中で「社寺建築部」へ異動を希望しました。これが認められ、社寺建築の世界に入ります。

 まず困ったのは用語が分からないことでした。一般建築の用語と大きく違うだけでなく、仏教であれば宗派ごとに本堂の中の部屋の名称などがみな異なります。これを頭に入れて使い分けないと、プロとは言えません。東京・神田の古本屋に通い、関連書籍を買い集めて勉強したものです。2年目の後半にはもう設計担当としてお客さまの前に出ていました。

 社寺建築部で初めて設計したのは、横浜市内のお寺です。実物と同じスケールの現寸図も書き、大工さんと詳細に打ち合わせて施工していくのですが、出来上がった屋根の反りを見た時、「もう少しおとなしく設計しておけばよかった」と思ったのを覚えています。同時に設計者の微妙な感覚の違いで、実際に出来上がるものがこうも変わるのかと実感した時でもありました。

 例えば軒先の反りは、どれだけいったらどれぐらい幅を増すといった決まりなどなく、これまでの経験や体得してきたもので決まっていきます。当社にはそのようにして先輩たちが培い、伝え続けられてきた「松井の線」というものがあります。お客さまから「松井の設計施工が一番格好いい」とお聞きできた時は本当にうれしい思いがします。

 会社では若い人に「自分の仕事にこだわりを持ってほしい」と言っています。お客さまから聞いてきたイメージは本当にこれで合っているのか。そう何度も自問し、必要であれば大工さんたちにも「これは違う」とはっきり言えなくては駄目です。

 絶対に甘えず、何事にも後悔しないよう常にぶつかっていく前向きな気持ちが大切です。社寺建築は奥が深く、生産性や効率性だけでは考えられない世界でもあります。私の勉強は今も続いています。

 (建設本部副本部長兼社寺建築部長、たかおか・しげき)1972年日本大学卒、松井建設入社。建築本部工務部現業設計課、社寺建築部社寺建築課長、社寺営業部長、社寺建築本部副本部長、執行役員社寺建築本部長などを経て、13年から執行役員建設本部副本部長兼社寺建築部長兼営業本部副本部長、東京都出身、67歳。

20代の頃に神奈川県内の建築現場で
(後列左端が本人)

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