2017年4月28日金曜日

【現代建築に息づく伝統文化】東京・銀座に観世能楽堂誕生

 能楽界最大流派の観世流の拠点施設「観世能楽堂」が、東京・銀座に誕生した複合施設「GINZA SIX」に移転し、20日に開業した。

 東京・松濤にあった能楽堂から長年使用してきた舞台を移築。壁や客席にもふんだんに木材を使用し有機的で統一感のある仕上がりとなった。能楽堂と建物外観のデザインには、伝統的な「和」のテイストという共通性もある。

 能楽堂は地域に開かれた施設として、能以外のイベントにも対応するほか、災害時には約1000人の帰宅困難者の一時滞在スペースとしても機能する。

 ◇観世能楽堂、銀座の地に150年ぶり帰還◇

 「銀座への帰還は150年ぶり」と喜びを語るのは二十六世観世宗家・観世清和氏。観世流は寛永10(1633)年に江戸幕府の3代将軍徳川家光から、現在の銀座1丁目付近に約500坪の土地を拝領したとされる。それから明治維新まで200年以上にわたり拠点を構えていた経緯があり、流派にとって銀座は縁深い特別な場所という。

 新たな観世能楽堂はGINZA SIXの地下3階にある。広さは1600平方メートルで、松濤からそのまま移築した舞台は「解体の折と全く変わらない」(観世氏)出来栄えとなった。「マイナスの芸術」とも表される能の舞台に客席との間を仕切る幕はない。客席に向かって大きくせり出したひのきの舞台のほか、老松が描かれた「鏡板(かがみいた)」と呼ばれる壁、出演者の入退場スペースや舞台として機能する「橋掛(はしがかり)」、その奥の五色の「揚幕(あげまく)」などがあるだけの、極限までシンプルに研ぎ澄まされた空間となっている。

 舞台だけでなく能楽堂の左右の壁や客席の背もたれに木を使用し、統一感のある空間を演出。バリアフリーの観点から、480席ある客席のうち2席は車いす対応とした。多目的ホールとしてイベントやコンサートなどに利用できるよう、舞台上の柱「目付柱(めつけばしら)」は取り外しが可能になっている。

 観世能楽堂があるGINZA SIXの外観は、ステンレスやガラスなどの無機物が多く使われた洗練されたデザインだが、実は能楽堂との共通性もある。

完成した舞台で「土蜘蛛」の仕舞を披露する観世清和氏(前列左)
 ◇最新ビルと伝統芸能に〝和〟テイストの共通性◇

 基本設計と外観デザインを担当したのは日本を代表する建築家・谷口吉生氏。谷口氏はファサードデザインに、日本の伝統的な形式である「ひさし」と「のれん」の考え方を取り入れた。高層のオフィス階は、階ごとにステンレスのひさしを張り巡らせ、周辺からの視認性とオフィス全体の統一感を確保。低層部の商業施設のファサードには、店先にあるのれんを模して、店舗ごとにデザインが異なるパネルを配置した。

 「建築は中身を引き立てる器である」という谷口氏の理念の下、建築自体はシンプルに仕上げられたという。これは能の精神や舞台のしつらえに通底する部分でもある。

最先端と伝統が融合する「GINZA SIX」
 ◇伝統文化の底力見せる◇

 GINZA SIXへの能楽堂移転を後押ししたのは、施設開発に携わった企業の一つ森ビルだ。同社は事業テーマの一つに「文化・芸術」を掲げており、これまでも美術館、コンサートホールなどの施設を街づくりと融和させてきた。辻慎吾社長は「多彩な才能と磁力ある街や場が出会ったとき、思いもかけない面白いものが生まれる。東京、そして日本には、こうした街や場がもっと必要だ」と話し、その一翼として能楽堂に期待する。

 最先端の複合施設の地下から「日本の伝統文化の底力を見せる」と決意を新たにする観世氏。伝統文化の発信拠点としてはもちろん、歴史と最先端が融合し新たな価値を生み出す場として、能楽堂はこけらを落としたばかり。今後、国内外の人々を引き付ける磁力を発し続けることになる。

 《施設概要》

 【観世能楽堂】
 
 所在地=GINZA SIX(中央区銀座6の10の1)地下3階
 規模=1600m2、480席

 【GINZA SIX】

 開発主体=銀座六丁目10地区市街地再開発組合
 規模=S・RC・SRC造地下6階地上13階建て延べ14万8700m2
 設計=鹿島・谷口建築設計研究所JV
 外装意匠統括=谷口建築設計研究所
 施工=鹿島

0 コメント :

コメントを投稿