2017年6月6日火曜日

【記者手帖】震災6年、数字の裏にあるもの

インタビュー中に取材相手が泣き出したことがある。東日本大震災後に福島県庁の幹部を訪ねた時のことだ◆インフラ復旧の方針や原発事故への対応などを順に質問し、メモ帳からふと顔を上げると、相手が涙を流していた。「人災」とも言える原発事故で生まれ育った土地や海が汚され、数多くの県民が故郷を追われた。その無念さから、こみ上げる感情を抑え切れなかったようだ◆震災発生から6年3カ月が経過する。そう言うといかにも簡単に響くが、その数字の裏には、肉親を亡くしたり県外避難を余儀なくされたりして人生が大きく変わった人々の思いがある。復興事業は「最盛期」だとか「終盤」だとか多様な言い方をされるが、沿岸被災地を歩いてみると、復興の様子にはばらつきがあり、進ちょく状況を一言では表せないことが分かる◆震災前の08年に仙台市の東北支社へ赴任し、約9年間当地で取材活動を行ってきたが、近く東京の本社に籍を移すことになった。都民に戻った後も、東北の被災地には、生活を立て直そうと奮闘する多くの人たちがいることを忘れずにいたい。(平)

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