2017年6月26日月曜日

【駆け出しのころ】大豊建設執行役員東京支店長・竹内清氏


 ◇自分の時間も大切に仕事を◇

 東京・木場に生まれ、父が材木会社を経営していたため、小さい頃から外で汗水垂らして働く大人たちの姿を見て育ちました。そのせいか、学生時代のアルバイトもトラックの運転手や建設現場でブロック職人として働くなどほとんどが「ガテン系」の仕事ばかりでした。

 建設会社に就職して現場で働きたいという思いが強く、大豊建設に入社して配属された現場では、地下足袋を履いて走り回っていたほどです。それも職長さんたちが履くような留め具が12個付いた12枚こはぜの地下足袋です。入社2年目に担当した現場の所長に「職員なのだから地下足袋はよせ」と怒られるまで履いていました。

 若い頃は現場で上司や先輩が仕事の一つ一つを丁寧に教えてくれるというよりは、職人さんと一緒になって動きながら覚えていったのだと思います。そうした職人さんとも時には口論になることもあり、怒った職人さんが現場から帰ってしまったこともあります。当時はそのことが工程にどんな影響を及ぼすのかにまで考えが及ばず、当然、後から周りの先輩に厳しく注意されました。

 今振り返ると、現場ではいつも一生懸命だったと思います。お盆と正月の休みになると体調を崩して寝込んでしまうことがよくあり、それだけ普段は気が張っていたのかもしれません。

 これまでに東京都の上下水道工事や臨海副都心での工事など多くの現場に携わってきました。山岳土木などと比べて比較的工期の短い都市土木の現場をいくつも経験してきたのですが、神奈川県内の横浜磯子火力発電所の工事には4年携わりました。

 その後、海外の現場にも赴任しました。会社から突然、「来週から台湾に行くように」と言われ、当社がちょうど台湾で進めていた新幹線建設工事の現場に赴任するものだと思っていたら、原子力発電所の建設工事でした。

 日本では発注者、職員、作業員とのコミュニケーションを大切にして現場運営をしてきましたが、いきなり台湾の現場に入り、英語も中国語も分からずに苦労の連続で、最初の頃は日本に帰りたいと思っていたものです。しかし、現地の作業員さんともだんだんとコミュニケーションが取れるようになり、「郷に入っては郷に従え」を痛感するよい経験になりました。

 若い人たちは今、私たちが走ってきた時代とは異なる環境で働いています。ですから、会社では「自分の時間をつくるように仕事をしなさい」と言っています。コミュニケーションを大切にし、「できれば先輩の話を聞くように」ともよく話しています。世代によってコミュニケーションの取り方は違ってきており、私たちも頭を切り換えることが必要だと思っています。

 (たけうち・きよし)1981年芝浦工業大学工学部土木工学科卒、大豊建設入社。東京支店土木部長、土木本部土木営業部長、名古屋支店副支店長兼営業部長、執行役員名古屋支店長などを経て、17年4月から現職。東京都出身、59歳。

赴任していた台湾では休日、現場に近い海でダイビングを楽しんでいた

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