2017年9月4日月曜日

【駆け出しのころ】中村建設常務取締役土木本部長・平井美次氏


 ◇人のつながりが生きる◇

 中村建設(浜松市)に入社する前は、大手道路舗装会社で働いていました。北海道や関東、中部、関西など各地の現場を担当し、20歳を迎えたのはこの会社に勤めていた時です。当時の上司が、仕事が忙しくて地元の成人式に出られない私たちを集めて祝ってくれたのをよく覚えています。

 入社から7年間にわたり上司や先輩の方々にはいろいろと教えていただき、大変にお世話になりましたが、地元の浜松に戻りたいという思いが強くなり、同郷の妻との結婚を契機に転職しました。

 中村建設に入ると、最初の2年ほどは舗装工事を担当します。舗装の経験は豊富にありましたが、構造物の施工に携わるようになった時は大変に苦労しました。当時のグループ長からは「これまで何をやってきたのか」と怒られ、自分の力不足を思い知らされました。でも、「なにくそ」とこれから頑張っていこうという気持ちにもなり、この悔しさがあったからこそ、今の自分があるのかもしれません。その後も初めての仕事が多かったのですが、協力会社の方々に応援してもらいながら経験を積んでいきました。先輩方にもよく声を掛けていただきました。

 私は中村建設に入るまでお酒を飲めませんでした。それが義父に鍛えられて飲めるようになります。初めてあいさつに行った時から、飲んでも酔ってはいけず、人の話をしっかり聞き覚えておくようにと教えられました。そのおかげもあり、会社の後輩たちと飲みながら何に悩んでいるのかをよく聞けるようになったのは良かったと思っています。

 今から14年前、土木工事部長を務めていた私は営業部長を兼務します。その2、3日後に開かれた営業幹部会で「これから勉強して営業関係のことも進めていきたい」と私が話すと、すぐに当時社長だった中村信吾会長から「そんな考えではいけない。もっと研究して具体的にやっていかなくては」と指摘されました。これからどうやっていくべきか。そう考えると1週間ほど眠れませんでした。これも自分にとっては大きな契機となりました。

 積極的に人とのつながりをどんどん広げていく人もいれば、真面目にいい仕事をして頑張る人もいます。それぞれに個性があり、そういった適性に合った仕事を任せていくことが大切です。営業であればどうやって仕事に結びついていくのか、若い人たちにはこの感覚を身につけてできるようになってほしいと期待します。そして、これからも若手社員が資格の取得などに向けて勉強できる環境をつくっていけば大きな力になっていくと考えています。

 私は人とのつながりでこれまでやってこられました。家族のフォローにも感謝しています。

 (ひらい・みつぎ)1975年静岡県立浜松工業高校卒、世紀建設(現世紀東急工業)入社。82年に同社を退職し、同年中村建設入社。土木工事部長兼務営業部長、土木本部長代理、取締役土木本部長などを経て、16年7月から現職。静岡県出身、61歳。
28歳の頃、家庭での一コマ

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