2017年12月18日月曜日

【駆け出しのころ】日特建設取締役常務執行役員技術本部長・山田浩氏

 ◇積極的な交流で人脈広げる◇

 入社した1981(昭和56)年は同期が80人ほどいたでしょうか。3日間の新入社員研修を受けて配属されたのは本社の技術室(現技術本部)でした。当時の会社は主にダムの基礎処理工事を手掛けており、最初の半年は私も各地のダム現場と技術室を行ったり来たりしながら材料試験などを行いました。

 2年目に入ると、斜面補強や構造物の設計を担当することになりました。続いてこの年の秋からは半年間、建設コンサルタント会社に出向し、高速道路の斜面に関する調査業務に携わります。仕事を終えて帰るのは終電近くというハードな日々でしたが、自分の会社では先輩に教えてもらいながら設計を行っていた入社2年目の新人にとって、出向先の調査業務で得たものは大きく、その後につながる大変に良い勉強となりました。

 出向を終えて現場に出た3年目、北陸で道路斜面の防災工事を設計・施工で担当した時のことです。工事を始めると、なかなか設計通りにはいきません。困りましたが、自分で設計したのですから誰にも文句は言えません。事前の調査と計画がいかに大切か、身に染みて分かりました。

 数年後、会社でも初めてのプロジェクトを任されました。遊園地に設置されるジェットコースターの基礎を設計・施工する仕事です。斜面の多い丘陵地に建設するジェットコースターのため、100カ所以上の基礎はそれぞれ形状が異なり、設計には苦労しました。施工に入ってからも基礎設計の変更が相次ぎましたが、経験豊富な所長のおかげもあり、計画から2年ほどかけて無事に完成させることができました。

 初めての仕事と言えば、こんな経験もあります。会社が発電所の導水路建設工事でコンクリート覆工材の製作を初めて請け負ったことがあり、この時も設計と製作を担当しました。大学の研究室とも連携して強度試験を行うなど、これも大変な仕事でしたが、貴重な経験をさせていただけたと思っています。

 技術本部の若い技術者たちには、できるだけ外部の委員会などに参加して「人脈を広げてほしい」と言っています。委員会メンバーはそれぞれの所属組織で業務を抱え、時間的な制約もありますが、こうした社外の人たちと交流できる機会はとても貴重です。私も遠心力載荷装置を使った補強土工の設計施工に関する研究などを通じ、国内外で多くの方々と知り合い、後にいろいろな場面で助けられてもきました。

 若い頃は上司に「とりあえずやってみろ」とよく背中を押していただいたものです。現在は成果に対する評価が厳しい時代ですが、若い人たちにはどのような成果を出すのかについてしっかり考えた上で、積極的にチャレンジしていってほしいと期待します。

 (やまだ・ひろし)1981年北海道大学工学部資源開発工学科卒、日特建設入社。営業本部エンジニアリング企画部次長、技術本部法面部長、札幌支店次長兼技術部長、執行役員技術本部副本部長などを経て、14年6月から現職。北海道出身、60歳。

高速道路でアンカーの長期安定性に関する調査を行った時の1枚。
30代前半だった

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